夏目漱石「私の個人主義」

2014年05月04日

最近読んで興味深かった本に夏目漱石の「私の個人主義」(講談社学術文庫)があります。講演集です。

漱石といえば明治時代、文学を通して近代的自我について考え続けた誰もが知る文豪。その公演なのですからガチガチの啓蒙的な論調なのかと思っていたのですが、どっこいユーモアたっぷりで平易でしかも独創的でした。断言しますが中学生でも読めます。高校生なら必読です。人生損しますよ。

まずグダグダとこんなとこまで来るのは気が進まなかったとか、断りたかったのにどうしても講演を受けないといけなくなってしまったいきさつだとか、講演内容を考えるのが嫌で絵ばかり描いていて何も用意していないとか、なまけものの僕には勇気づけられる(?)言い訳がひとしきり。のっけから引き込まれます。

しかし驚くべきはその内容が現代においていささかも古色を帯びていないところです。今の私達に話しているような気さえして軽くめまいを覚えるほどです。明治時代の終わりから大正時代初期ですよ。時勢に左右されない普遍性を持つ主張は、彼が本当に偉大な文学者であったことを思い知らされます。

個人主義と聞くと利己主義と誤解されるむきもあるかもしれませんがそうではない。開国以降大きく変わった社会の中で、なだれ込む西欧的理念を鵜呑みにするのではなく、主体的な自己を持つこと、自分の価値判断を尊重することは他人の価値判断を認めることでなければならないことを説いた名演説ばかりです。全部挙げることは不可能なので一つだけ紹介しましょうか。

 

国家的道徳というものは個人的道徳に比べると、ずっと段の低いもののように見える事です。元来国と国とは辞令はいくらやかましくっても、徳義心はそんなにありゃしません。詐欺をやる、誤魔化しをやる、ペテンに掛ける、滅茶苦茶なものであります。だから国家を標準とする以上、国家を一団と見る以上、よほど低級な道徳に甘んじて平気でいなければならないのに、個人主義の基礎から考えると、それが大変高くなって来るのですから考えなければなりません。だから国家の平穏な時には、徳義心の高い個人主義にやはり重きを置く方が、私にはどうしても当然のように思われます。                                                (私の個人主義)

 

これ、富国強兵に代表される国家主義が今とはくらべものにならないほど声高に叫ばれていた明治時代(公演は大正三年)のことですよ。国家なんて詐欺師なんだから実際に戦争にでもなっていないかぎり、個人の主体的自我を追求しなさいと言っているわけです。国家のために個人の価値感を捨てるのは馬鹿げていると言っているわけです。国家なんぞより個人が主体的に生きるほうが気高いことだと。こんなまさに現代的なこと、今言える覚悟のある人いますかね。特筆すべきは、漱石は平和主義者だからこういうことを言っているのではないところです。彼は「何も考えずに自分の価値判断を国家に委ねてしまうな。」と言っているのです。

こないだもどこぞの国家の首相が、原発反対の世論が支配的なヨーロッパ行って「うちは原発でガンガンいきますからヨロシク」と素っ頓狂なこと言ってドン引きされていました。自国で事故を起こした原発は今も放射能汚染水垂れ流し続けているにもかかわらず、です。憲法改正しなくても解釈だけで集団的自衛権に関わるいろんな法制度は可能だとか正気を疑うことも言ってます。このままでいけば、なんとなく時代がそんな感じだからしょうがない、と主体的思考自体を国家に委ねてしまうような時が来ますよ。賭けてもいい。その時になったらもう戦争して人が死んでも止まりませんよ、絶対。

漱石が今の私達を見たらどう言うでしょうか。もしタイムマシンがあったらそのことを伺いに講演会を聴きに行きたい、と強く思う憲法記念日でした。